恵庭神社は街外れにあるナビ頼りで、速度落とし気味で走らないと見逃しそうな場所に石碑がある。境内は雑草伸び放題でうら寂しい。社殿も固く閉じられ、社務所も人の気配を感じられず、早々に退散。
明治26年9月加越能開耕社を中心に加賀・越中・能登の人々に依り西3線東15号漁川堤防地に春日大神を奉斎して春日神社を創建する。同28年島松赤玉神社及び天照大神を合祀し、大正13年漁太稲荷神社をも合併する。昭和2年恵庭神社として創立の許可を受ける。
豊栄(とよさか)神社は恵庭神社も兼務しており、先に恵庭神社、次にこの豊栄神社を参拝し、豊栄神社で二つの神社の御朱印を受領(友人が)。住宅街にあり、鳥居も社殿も立派。茅の輪などが据えられていたのは、月初めの1日に訪問したからか。
明治7年6月15日稲荷大神を奉斎し、同24年8月7坪の神殿を建立、札幌神社に請い大国魂大神を合祀したことに始まる。同34年8月24日神社創立を出願し、同年9月25日恵庭神社として公称の許可を受ける。明治34年無格社。同44年7月19日豊栄神社を合併の上現社名に変更公称の許可せられる。