ドイツ ベルリンの壁

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中央ヨーロッパ縦断の旅。札幌から成田空港、イギリスを経由し、一カ国目のドイツ・ベルリンに到着。ホテルで一泊した後、ベルリンの壁を見学。1999年9月訪問。

母に伯母二人との四人旅。ツアー出発日に成田空港で合流したのだが、有閑マダム達は前日のうちに成田空港近くのホテルに来ていたため元気一杯。そして、揃いも揃って襷掛けの鞄に膨れたリュックサック。勿論、特大スーツケースも別にある。何故そんなに荷物が多いのか。

  1. 夜 札幌発 羽田泊
  2. 早朝 羽田から成田へ 午前 成田発 イギリス・ロンドン経由 夜 ドイツ・ベルリン着
  3. 午前 ベルリン 午後 ポツダム ベルリン泊
  4. 午前 マイセン 午後 ドレスデン 夜 チェコ・プラハ着
  5. 午前 プラハ 午後 カルルシュテイン城 プラハ泊
  6. 午前 チェスケー・ブジェヨヴィツェ 午後 チェスキー・クルムロフ 夜 オーストリア・ウィーン着
  7. 午前 ウィーン 夕方 ハンガリー・パンノンハルマ 夜 ブダペスト着
  8. 午前 エステルゴム、センテンドレ 午後 ブダペスト
  9. 午後 ブダペスト発 フランス・パリ経由
  10. 午後 成田着 夜 札幌へ

日本航空 JL403便で、まずはイギリス・ロンドンへ。

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機内食は和食をチョイス。

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ロンドンからはブリティッシュ・エアウェイズ BA988便に乗り換え、更に一時間半のフライト。

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目的地のドイツ・ベルリンにやっと着いたと思ったら、トラブル発生。待てど暮らせど、ツアー客一部の幾つかの預け荷物が出て来ない。どうやら、ロストバゲージ。添乗員さんが航空会社のカウンターへ確認しに行くと、原因があっさり判明。彼等は関西空港から参加しており、その分のスーツケース全てがロンドンで積み替えられる際に間に合わなかったらしい。

諸手続きや身の回り品が入ったポーチを支給して貰うため、空港で一時間も待たされる羽目になった。翌朝に十名程が揃いの白色ピチピチTシャツを着て現れたのでグループ参加かと思っていたら、そのロストバゲージ組だった。ポーチの中身はそのTシャツ、歯ブラシ、タオルのみ。このように航空会社に非がある場合、荷物が手元に届くまでに必要な物品、または現金が支給されることになるが、ブリティッシュ・エアウェイズは物品のみという話。その荷物は翌日の便に乗せられ、ホテルに届けられた。ロンドンとベルリンの間は毎日何便も飛んでいるから良いものの、週に一便とかだったらどうなるのだろう。

何とか空港を脱出して目指すは、ホリディ・イン・ベルリン・シェーネフェルト・エアポートというホテル。エアポート=空港近くというのは、既に夜11時を回っているしで有難い。と思ったのに、何十分経ってもホテルに着かない。バスはベルリンの街中を迂回し、走り続けること小一時間。私達の飛行機が到着したのは、テーゲル空港。首都ベルリンには空港が三つもあり、シェーネフェルト空港は対極でかなり郊外に位置していた。添乗員さんがそれを説明してくれたのは、ホテルに着く直前。もう待ちくたびれて疲れたよ、私は。しかし、マダム三人衆は最初からホテルの情報など知ろうともしていないので、移動中は何処吹く風で爆睡して体力温存。

ちなみに、翌日もベルリンに宿泊したが、都心部のアレクサンダー広場近くにあるフォーラム・ホテルだった。最初からここにしてくれれば良かったのに。

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第二次世界大戦後にドイツが西ドイツと東ドイツに分割され、東ドイツ側にあったベルリンの街が更にソ連統治領域、そしてイギリスとフランスとアメリカの三国が統治する領域に分けられた。後者を囲ったのがベルリンの壁。壁は1989年11月9日に崩壊したが、一部が残されている。その中でも最も長い距離が残る場所へ見に行った。壁の高さは5メートル位で、様々なメッセージが込められ落書きともつかぬギャラリーが凄い。尚、芸術作品として保護されているため、落書きしたら罰せられる。

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posted on January 2, 2007
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