インド デリー~ベナレス 空路移動

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インド四都市を巡る旅。デリーからインディアン・エアラインズにてベナレスへ移動。現地に到着し、まずはホテル周辺地域を散策。1997年11月訪問。

デリーの空港ロビーでは、現地係員シンさんが待っていた。ここで初めて知ったことに、都市毎にガイドが替わるのではなく、私達がインドを離れるまでの全日程を彼が同行する「スルーガイド方式」だった。

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このツアーに参加する、偶然にも私達と同じ構成の女性三人組とも合流。ちなみに、村山氏との失敗写真を撮ってくれちゃったのは、このうちの一人。それはともかく、長旅で疲れた。なのに、シンさんが「私は何歳でしょう」と、どうでも良いクイズを振って来る。皆は20代から30代前半の当たり障りの無い数字を言うが不正解で、ならばと私が思い切って言った「41歳」には、シンさんがむっとしてる。

実は、私達三人と女性三人組と彼、七人皆が同じ年齢だった。シンさんは同世代で(ついでに、女性に囲まれ)旅を共に出来るのが嬉しかったらしい。友人は「肌を見たら若い」と言うが、顔は髭モジャだし、夜も更けて暗いし、そんなの知るかよ!

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灯の少ない街道を進み、ニューデリー市内南部にあるクタブ・ホテルに到着。希望通りの三人一部屋で宛がわれた客室は、20畳は軽くありそうなくらいに広い。但し、運び込まれて来た補助ベッドは、会議室の机にも卓球台にも使えそうな形状で、床上1メートルの薄っぺらい板の上には煎餅布団。成田で前泊した際、ホリディ・イン東武成田では「旧館ツイン+補助ベッド」プランの筈が、運良く通常ベッド三台の新館トリプル・ルームを貰っていた幸運もあり、そのギャップに落胆。右の「板」が補助ベッド。○印の中にトカゲがいる。

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この旅行では六泊するため、一人二泊ずつ補助ベッドで眠ることにし、じゃんけん勝負。すると、いきなり負けた私――仕方がないので卓球台ベッドに乗ってみれば、ギシギシと煩い。これでは他の二人に気兼ねして寝返りもうてないし、寝心地も悪過ぎる。ますます憂鬱になってソファーに倒れこむと、弾みでソファーの背凭れや肘掛けが取れた。それ用に作られているわけではないらしいが、ソファーベッドとして使えそう。最初からここに布団を敷いてくれても良かったのに。

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奥行きが1メートル位あるので座り心地は悪いが、寝床としての即席ソファーベッドは快適だった。マハラジャ=王様が寝るのよりも、村山氏が飛行機のマハラジャ・クラスで体験したのよりも、きっと上等な環境だ! と勝手に決め付けて「マハラジャ・ベッド」と命名。じゃんけんには負けたが、幸運は続いている! 普通のベッドで眠った二人は当初喜んでいたものの、スプリングが壊れていて逆に最悪だったらしい。

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夜が明けて、再びデリーの空港へ。ベナレスへはインディアン・エアラインズを利用したが、規定で手荷物に電池を持ち込めず、カメラは使用不能。機内食は友人画で。

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ベナレスの空港に到着後はドライバーが昼食中という理由により、炎天下で一時間も待たされた。昼食は正午! と決めているかのごとく、私達が来る前に済ませるとか、送り届けた後に食べるという発想は持ち合わせていないようだ。20km離れた街中への移動をやっと開始するも、狭くて舗装されていない道路を、速度の遅いリクシャー(自転車の人力車)や牛の群れをやり過ごしながら走るため、一時間以上かかった。やれやれ。

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尚、年齢当てクイズが尾を引いたのか、シンさんはこの先の旅行中ずっと、私にだけ微妙に冷たかった。

posted on August 4, 2006
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