スイス グリンデルワルド~ジュネーヴ

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オーストリアからドイツ、リヒテンシュタイン、スイス、フランスへとヨーロッパを主にバスで横断する旅。スイスのグリンデルワルドからインターラーケン、ジュネーブへ。1996年9月訪問。

クライネシャイデックから標高が低くなるにつれ、緑が濃くなり、民家も増え、暖かくなって行く。

車窓

標高1,034メートルに位置する麓の村、グリンデルワルド。スイス有数のリゾート地だが、私達ツアーは経由のみ。

グリンデルワルド

グリンデルワルド

グリンデルワルド近くの街、インターラーケン。免税店で買い物兼トイレ休憩。

インターラーケン

スイス西端にあるジュネーヴまで、高速道路で移動。グリュイエール湖は、チーズで有名なグリュイエールのパーキングエリアからの眺め。

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レマン湖半ば。対岸に水で有名なエビアンの街がある。

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ジュネーヴ。スイスの西端かつレマン湖の西端。

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ジュネーヴの名所、花時計を車窓から。

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夕食は角切りの肉や野菜を油が入った鍋で揚げながら食べる、天麩羅の衣無し版、スイス名物ミート・フォンデュ(オイル・フォンデュ)。チーズ・フォンデュはチーズに好き嫌いが出るので、ツアーの食事に付くことは残念ながら少ないらしい。

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四人掛けテーブルに、ミート・フォンデュ鍋は一つ。相席したバーサン達が無口で、話し掛けても「あー」と気の抜けた相槌しか返って来ない。物凄く気拙いままに食事を終え、各自で注文した飲み物代を店員が徴収しに来た。すると、バーサンの一人が日本の五百円玉を出した。スイス・フラン(注:通貨がユーロに統一される前)の持ち合わせが無ければ、日本語でもいいから何か言い添えるとか、もう少し下手に出られないものだろうか。店員が「No」と五百円玉を断っているのに、横に立つ店員に目をやることも耳を貸すこともなく、無言で真正面を見据えたまま、テーブル上で硬貨を滑らせ突き付ける、といった態度なのである。

日本円は紙幣も硬貨も駄目だが、近隣国のフランスやドイツならば良いと店員が簡素な英語で懸命に説明するも、五百円ババアは聞こえていないかのように微動だにしない。せめて米ドルは持ってないのか、などと部外者の私が口を挟んでも勿論完全無視。彼女の相方バーサンも、流石に困惑している。店員が添乗員氏を呼ぶに至ったところで、渋々ドイツ・マルクを出した。何だ、持ってたのか。どうやら孫の土産に各国の貨幣を残しておきたかったらしい。

そもそも、五百円ババアと一緒のテーブルになった時から、何となく嫌だったのだ。というのは、あるレストランにて見晴らしの良い二人掛けのテーブルを確保し、遅れて店内に入って来た相方に首を捻って声を掛けてテーブルに視線を戻すと、真向かいには何故だか五百円ババアが座っていたことがあった。あれ、私が先に腰を落ち着けていた筈だよね? 空席に見えていた私の目がおかしかったのか? 腑に落ちないまま黙って別の席に移動したが――あれは怪奇現象でも何でもなく、いやまさに怪奇現象で、やっぱりこのババア自体が変だった模様。

posted on April 30, 2006
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