太一の目に涙が滲んでいる。千早や部員達は皆、涙が止まらない。
太一がいる 近江神宮に太一がいる
表彰式が始まるため、整列しなくてはならない。躊躇する部員達に、太一が促す。
「行けよ みんな 見てるよ」
千早母が、太一が間に合って良かった、と話す。部員達を送り出した太一の背中を見ながら、太一母は言う。
「あ…… どうなんでしょう 太一は 間に合ったんでしょうか 間に合わなかったんでしょうか……」
太一は母に、明日の個人戦のために一泊して行っても構わないと勧められるが。
「べつにいらねーよ みんな おれの応援とか……」
視線を移すと、ロビーのソファに俯いて座っている新がいた。太一は黙って隣に腰掛け、新の肩に手を掛けようとして止める。新の顔は強張り、手を震わせている。
いらねーよ おれの言葉とか でも わかるよ 身体のはしから焼かれていくような 息もできないような
千早は急いで着替えを済ませ、ロビーに走る。
太一 なんで来てくれたの 太一 なんで 太一 太一
しかし、ロビーに姿は無い。新幹線に乗るため、会場を離れた後だった。千早は太一の言葉を頭に浮かべる。
ごめん みんなごめん ごめん
千早は泣き始める。
太一はきっと 謝りにきてくれたんだ 団体戦最後の日に もう 全部終わりの日に もう終わり もう一緒に かるたはできない
瑞沢一行の騒ぎに新が顔を上げ、自身の横に菓子折りが置いてあることに気付いた。「千早、これ」と見せた箱の包み紙には文字が書かれていた。
次は試合で。 太一
翌日早朝。周防はかるた練習場に行き、畳で札を混ぜる。若宮の言葉を思い浮かべた。
こんくらいの小さな神様みたいに見えてます
札に向かって「お、おはようございます」と挨拶してみる。そこで太一が部屋に入って来て、周防は慌てふためき赤面。太一は周防の様子を気に留めることなく向かいに座り、札を見詰め、札に対して頭を下げる。それは周防と同じ所作。
「おはようございます」
太一は迷いのない表情。
近江神宮では個人戦が行われる。目指すは全員入賞と、千早は檄を飛ばす。出場者が多くブロック別に優勝者が出るので、D級は7人、C級は4人、B級は2人……
「A級の優勝者は もちろん一人やんなあ?」
若宮が袴姿で現れた。
太一は周防と練習を始める。以前新に貰ったのと同じ「次は試合で」という言葉に誓う。
次がある 前に進む 同じ決意を返すから
memo
千早の「近江神宮に太一がいる」という言い回しに違和感があったが、後に「からくれないに染まる聖地」という煽り文句を添えて描かれた近江神宮の楼門(と千早)の雑誌表紙を見てやっと、私の中で解消された。漫画は白黒だからピンと来なかったのだけれど、楼門の色を思い浮かべれば暗示が読み取れるね。からくれないと言えば「ちはやぶる」の歌だ。
千早や皆に抱きつかれる息子を見て、太一母はどう感じたのだろう。千早母の場合は第29巻第153首でヒョロに抱きついていた前例があり、我が娘はそういうコなのねーで済ませてしまいそうだが。
「きっと謝りにきてくれたんだ」は、「ごめん」と口にしてあるのに何故改めて「きっと」と思うのか。ただ、千早に対しての謝罪にはキスのことも含まれていたのを、当人はそう思い至っていないと示しておきたかったのかな。乙女的には重大事件であろうに、不自然なくらい千早の回想で触れられていない=嫌じゃなかった、と。そもそも何故「謝りに」と思うのかが理解出来ない。太一の最初のアクションが流れで「ごめん」になってしまったから? 太一は仲間の最後の雄姿を見に来てくれた、の方が自然な考えじゃないのかな。
それより、表彰式前に一言二言いっておくとか、着替える前に太一を捕まえておこうよ。逆に、新は着替えずロビーに居ていいのか。「次は試合で」は第5巻第24首でのエピソード。小学生の時に新に字が下手だと言われた太一だが、団体戦メンバー提出時に登場していた横長の整った字が、太一のだったっぽい。その後、上達した? 私は好きな筆跡だよw 尚、菓子折りは第161首で周防に貰ったものの流用。
周防の前に座る太一と共に描かれた札は「やまざとは」「よもすがら」「ひさかたの」「なにわえの」「ひとはいさ」「なげけとて」「なにしおわば」「やすらわで」。寂し気な内容が多いが、白いかるたが下に落ちて行っているのは憑き物が取れたようでもあり、良い兆候なのだろうか。