若宮は自身が出演したテレビ番組を観ようともせず、自室で寛いでいた。明星会はどうせ昔と変わらないのだろうからとまだ行っていないが、伊勢先生がくれた彼の著書をふと手に取る。
千早と太一は綾瀬邸の居間で視聴。画面に映る太一に驚愕する千早。原田先生、新、須藤などもテレビを見て驚いている。
周防の聴き分けの能力は、生まれつきと、環境から得たものだった。専任読手七名全ての百首の読み上げデータを揃え、自宅でずっと流していたと言う。但し、上の句の頭だけ。テレビの若宮が、いつものイケズで突っ込む。
「音とつながってても 札とつながってないのは そのせいやったんですねえ」
若宮の聴力は、一般人と大差ないと紹介される。目線の検証では畳中央から焦点が動いていない。
「読まれた札に視点を合わせることなく 一枚だけを払う正確さ そして速さ」
そんなテレビの解説に、太一が補足。
「見てはいないんだけど 若宮さんは目がいいんだと思った 目と手の整合作用がすごい 運動神経がすごいってことになんのかな ピアニストが目を閉じてもピアノ弾けるみたいな 見なくても もう札のありかがわかるし そこに届くように自分の身体を正しくコントロールできてる 訓練でしか身につかねえ」
若宮が一人で練習していることについて問われ、答えている。
「うちのそばにはいつも 百枚の札がいてくれますので さびしいと思ったことはありません」
テレビでそう発言しつつ若宮は、伊勢に著書の内容が理解出来ないと言いに行かねば、などと考えていた。
「箱の中でずーっと 開けても開けなくても なんやらかんやらおしゃべりしてるのが札です それが聞こえてしまう 箱を開けずにいられましょうか うちは札はみんなこんくらいの小さな神様みたいに見えてます みんなとってもかわいくてわがままです」
若宮の「神様」という言葉が、千早の心を捕えた。テレビで若宮が札を胸に抱いている。
「この子たちと この札たちと 離れずに生きて行くのが 私の夢です」
番組が終わり、千早が母に向かって訴え掛けた。
「私 クイーン目指したい 勉強もがんばるから 必死にやるから クイーン戦に出たい 両方がんばるから」
頭を抱えて溜息をつく母に、千早は言い募る。
「…… お母さんは私に なんになってほしいの? 看護師さんとか本屋さんとか べつに具体的にないでしょ? なんかこう ふんわり し…幸せになってほしいってくらいなもんでしょ?」
大きな声で反論する千早母。
「ちがうわ 子供には 高確率で幸せになってほしいのよっ」
母の迫力に言葉が出ない千早と千歳。太一が助け船を出す。
「おばさん 千早には周防名人に近い耳の良さがあります でも聴力にもピークがあって 千早はいまかもしれない いつか”感じ”なくなる……」
言うだけ言って、太一は挨拶して帰って行く。千早が以前、駒野に教えられた物事の上達ポイントは四つ。目標は具体的に、時間は集中的に使う、第三者に反省点の指摘を受ける、居心地のいい場所から出ていく。千早は具体的な目標を掲げ、両立を宣言。
千早は玄関を出て、太一に礼を言う。太一は「なにもしてねーよ」と手を振り、去って行った。
いつか”感じ”なくなる
千早は手を振って見送りながら決意。
やりたいことを思いっきりやるためには やりたくないことも思いっきり やるんだ
memo
第30巻第155首と第31巻第161首で収録していた、かるた特番の放送日。ピアニストの例えは分かり易い。周防もそれなりに努力していたことが明らかになり、周囲の目も多少変わればいいね。
登場した札は音サンプルとして「さびしさに」。小さな神様~と言っている詩暢の背景に、「なにわえの」「あさぼらけ・う」「かささぎの」「おくやまに」「はるすぎて」「なげけとて」。詩暢の「神様」は札で、千早は第32巻第166首で新のことを「神様みたいに思ってた男の子」と過去形で言及。詩暢の「離れずに生きて行く」に対して、千早はどう考えたのか。
太一の「いつか”感じ”なくなる」が繰り返し出て来たのは、次の大会を見送る時間的猶予が無いのを強調しつつ、じきに恋愛感情も薄れて行くだろうと自らに言い聞かせているような描かれ方。机先生の格言に従おうとする千早だが、やりたくないこと=勉強って、先生になりたい人が言ってちゃ拙いだろw